駐在決定までの流れ

駐在決定までの流れ


こんにちわ、おにぎりです。
今回は私の過去と、駐在員になった流れについてご紹介していきたいと思います。


おにぎりの生い立ち

私おにぎりは技術者としてこれまで生きてきました。
学生時代からこれまでの生い立ちは、高専→地方国立学部生→同大学院生→現在のメーカーに入社という流れです。
ご存知の方はいると思いますが、高専生全般に言えることそれは

英語ができないということ!

なぜなら高専生は大学編入制度により英語をがんばらなくても大学に入ることができてしまうから!
高専生の名誉のためにも一応言っておきますが、もちろん英語ができる人もいますよ。
が、一般的な大学入試を経験した人たちと高専生を集団として比べると”できない”と言えるでしょう。

私も漏れずにできない側の人間でした。何しろ学生時代は遊びまくっていて英語どころではなかったからです笑。

今私が務めている会社はグローバル成長を掲げている会社だったため、入社したときから教育担当者からはとことん英語の重要性を解かれました。
ただそんなこと言われても、ずさんな学生時代を過ごしてきた私です。
期待に応えようと当時勉強をしましたが、TOEICの点数は悲しくも500点前半でした。
そして、実際に配属されて技術者として働くことになっても英語に触れる機会はほとんど無く、駐在前の英語力は入社当時と比較しても横ばい(むしろ落ちていた)ことでしょう。

私はこの一生を日本国内で終えることを予期し、それを受け入れていました。


駐在の話が突如舞い込む

そんな私ですが、入社して9年が経ったとある日です。
上司から突如アメリカ駐在の打診がきました。私の部署からはアメリカに駐在員を定期的に派遣していました。
ちょうど入れ替えの時期が来たのがその時でした。

駐在員というのは英語ができる優秀な人が行くものだと考えていましたが、私がいた部署は少し違ったようです。
英語スキルは特に重要視しておらず、技術的な課題を解決できる人が選ばれるようです。
そして、日本国内で進められているプロジェクトの進行に極端な影響がない中堅よりの若手こそが最適な人材であり、まさに9年目の私がそれにバッチリ当てはまったのですね!

その話が舞い込んできた時に私はためらいました。
なにせ国内で生きていく前提で色々と考えていたので。
一人用ですが国内でマンションを購入していましたし、長年愛用していた大型バイクを売却してオープンカーを買おうと話を進めているところでした。

しかし、駐在話をもらった私はかなり浮かれていました。
駐在員に選ばれるということは、それなりに私の仕事ぶりが評価されていたということですし、海外に行ってもやっていけるだろうと考えてもらえたと、そう私は考えました。
あと何より、なんか面白そうという漠然とした期待がありました。

英語によるコミュニケーションには不安はありましたが、物事を楽観的に捉えがちな私は行けばなんとなかなるだろうぐらいに考えて、その2日後ぐらいにはOK出してしまいましたね笑


駐在決定!英語の猛勉強!

そこからはとにかく忙しい日々が続きました。
必要な諸々の手続きや、英語の猛勉強を始めました。
詳しい内容は別の記事で触れるとして、渡米前の私は約6ヶ月間は仕事が終わったら食事やお風呂などの必要なこと以外はほぼ全て英語に費やしていました。
人事部にお願いして3ヶ月間の高額な英語カリキュラムにも参加させていただきました。

当時はできる限りのことをしないと不安でたまりませんでした。
ただ、今思えばやはりそれは付け焼き刃で目に見えるほどの効果があったかというとそうではありませんでしたね。
渡米後は日常のコミュニケーションや会議など全てのことで苦労しています。
この記事を書いている4ヶ月経った今でも苦労ばかりす泣
その話しも追々ということで笑


最後まで読んでいただきありがとうございました!
今回はこの辺で。それではまた次回!

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